人生の伏線を回収しました(1/5)

堀手と申します。シュライアマハー真帆と申します。灰原哀の名言と申します。先日人生の伏線を回収しました。

さて、私ほど世迷言のような学籍に係る事務的移動を重ねた人間は殆ど居ないように推察されますが、割と学籍に係る事務的移動に関する情報は誠藻琴に落ちていないもので、思い返すと学籍に係る事務的移動を志す際に非常に難渋した記憶がありまして、じゃあ学籍に係る事務的移動に係る情報を記述しておく体を取りつつ、掉尾卒業能わざる勿って学士(文学)に有り付けた今でこそその一端々々は檮昧愚陋であるにせよ全体として下臨すると恰も紅海が大陸の裂罅みたいですねみたいなアレの如く在っただけのものとして把捉できるようになったわけで、倨傲な閑文字を陳していくことも吝かではないのかなとか思っております。

と書いてたら存外センチになってきたので学籍に係る事務的移動を重ねた人間としての学籍に係る事務的移動に係るお役立ちTips的な内容を盛り込めるか否か甚だ怪しいように思われてきましたが、ここいらを何とか姑息するのが書き手の腕の見せ所であるとの言い伝えが存在する可能性があるので、ここいらを何とかするかもしれませんが、基本的には個々人には個々人の歴史がありみたいな感じで自分のあれこれに収斂していくよくある文章の収斂なしバージョンたるやつで換言すると自分語りに他ならないため、堀手と申しますシュライアマハー真帆と申します灰原哀の名言botと申しますで申された各々が一同に会している間隙を衝くかのように情報を私していただけますと幸甚な感じです。

目次

経歴

クリックすると開きます(長いので次回も使い回す予定です)

2013.3 徳島県立海部高等学校 卒業

2013.4 東京大学教養学部前期課程(理科Ⅰ類)入学...

2014.9 東京大学薬学部進学内定

2015.3 東京大学薬学部進学内定辞退…

2015.9 東京大学文学部思想文化学科*1美学芸術学専修課程内定

2016.4 東京大学文学部思想文化学科美学芸術学専修課程進学

2017.3 東京大学文学部思想文化学科美学芸術学専修課程中途退学

2017.4 奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科博士前期課程入学(飛び級)*2

2020.3 奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科博士前期課程中途退学

2020.4 東京大学文学部人文学科美学芸術学専修課程再入学…

2024.3 東京大学文学部人文学科美学芸術学専修課程卒業…

本投稿では主にに関して書契します。

 

進学選択(自分の頃は進学振分け)における進学内定辞退

進学選択(自分の頃は進学振分け)

東京大学には進学選択(自分の頃は進学振分け)(以下進振り)(今はどういう略称なのでしょうか?)という、入学からしばらくはみんな駒場教養学部リベラルアーツ的なやつをして単位と点数をかき集めて、2年夏くらいに行きたい学科の希望を出し、点数が高い順に希望が通ってめでたく進学したりしなかったりみたいな制度があります。基本的には点数良くて行きたいとこに行けるか点数そんなにで傍流進学するか点数やばくてどこにも引っ掛からないあるいは点数やばくて来年に望みを掛ける的なので即座に1年次に降りる(降年)かの3択ないし4択なのですが、前の2択のいずれかによってどっかに決まったとしても、2年冬から始まる進学先の講義やら何やらでなんか違うなあとなった場合に自主的に進学の取り消しを申し出て、来年度も2年次として進学選択をやりなおせる進学内定辞退という択が存在します*3

進学内定辞退を行うと自動的に留年となるうえ、申請を出せる期間が進学内定から確か3ヶ月くらいという短さのため、前者前者の場合は言うに及ばず、前者後者の場合でも結局後者後者の降年の決断はできなかったということで、それよかとりあえず進学はしといて院で行きたいとこ行くか転学部・転学科を後で検討することにする人が大多数のはずでそれが健全だと思うのですが、自分は前者前者と前者後者の合いの子のような感じで進学先を決めたのち確かアーとなって進学内定辞退と相成ってしまい、確かアーとなった理由を次拙に縷します。

アーとなった理由

1.なんも考えてなかった

というかこれに尽きます。翻せば自分は小6くらいからずっと東京藝術大学音楽学部作曲科に行きたいと思っていると思っていて小6くらいからずっと東京藝術大学音楽学部作曲科に行くための楽典やらソルフェージュやら実技やらをやっていたのですが、高1の冬頃に小6くらいからずっと東京藝術大学音楽学部作曲科に行きたいと思っていると思って師事していた作曲の先生にきみは東京藝術大学音楽学部作曲科に行きたいと思っていると思っているだけであることをおそらく見透かされて(あとうちの経済事情やら拙のピアノがヘタクソだったことも鑑みてくれたはずで)世界一の作曲家になるくらいの覚悟がないと東京藝術大学音楽学部作曲科には行かないほうがいい的なことを言われたことで確かに本当に東京藝術大学音楽学部作曲科に行きたいと思っているわけではないはずだということを自覚し、じゃあまあ普通に普通の大学行くかとなって行こうかしらとなった経緯があり、東京大学にしたのも決定を後回しにできる進振りがあったからというのが理由の3割と決定を後回しにできる進振りがあるところに行ける学力はあったのが3割*4で、理科一類にしたのも進振りで指定科類枠(理科三類から医学部医学科は行きやすいみたいなやつ)的に一番選択肢が多くなりそうだからというのが理由の2割くらい*5だっただけで、いざ進振りの段になって医学部医学科以外は余裕な程度の平均点はあったものの別にとりわけやりたいこともなかったのと、薬学科の6年と薬科学科の4年のどちらかを3年次後半までに選べるという見かけ上決定を後回しにできるような気がするけど今考えるとどう考えてもそんなわけないわけがあったのと、昔から好きだった中島らもがジャンキーでジャンキー=薬物で薬物=薬学という今考えるとどう考えてもそんなわけないわけがあったのとで薬学部に志望を出して通った、という感じでした。惟るに、東京藝術大学音楽学部作曲科に行きたいと思っていると思いつづけることを容易に抛棄するに至った時点で、私は私にとってまたは他者にとっての本当のことを本当のことと思いつづけて石を穿つ類の能力を著しく虧いていることに少なくとも気づくべきでした。

2.なんも考えてない

大体の大学生は最高学府の唯一の外延との謬識で名高い本学においても私の入学前年に某テニサーが飲酒で死亡事故を起こして私の代のオリ合宿において上(クラではなくおそらく本当に上)から「酒は御法度だぞ」と釘を刺されている状況下である上クラのひとりが酒を下クラに強要できないフラストレーションからか下級生数人を集めBINGOの用紙を千切ったあとにできる小さいプルタブのような形をした部分をゲームで負けた人が水で飲み込むというカスみたいな催しを行っていたという私が早々に本学に失望することとなったその遠因からも分かるように酒とは鞏固で緊密な関係を有しており、こと本学薬学部でもその関係といえる範疇にないといえなくはないかもしれなかったのですが、進学後の歓迎コンパ的な催しが行われたのが薬学図書館のロビーだったということにまず面を食らい、その後も同輩および先輩との(良い人たちでしたが)合わなさとで徐々になんか嫌だな~感が膨らんでいき、薬学という学問自体も自分との接点が中島らもだけという稀薄さがゆえにもとより興味があるわけではなかったため身が入らずなんか嫌だな~感は増すばかりで、2年の冬学期が始まって2週間も経たない頃でしたか、いつもの如く本郷キャンパスに向かう途中、龍岡門の手前で急に身体を動かす気力を喪い、10分ほど立ち尽くしてしまって、このままだと死んでしまうやつだ、と思って龍岡門を入ってすぐ左手に聳える保健センターの2Fの精神科受付に助けを求めたのは今でも忘れることができません。

とどのつまりその当時の自分は、人口に膾炙しておる表現を擲置するとすると、臆病な自尊心が過去の自分の選択およびその際のなんも考えてなさに帰することを許さず、そこにたまたま薬学が完全なる実学であるという辯疏の余地が存在していたことを良いことに、私は本当のことを追究したかったんだ、私が本当のことと思っていることは薬学にはなかったんだ、本当は本当のことをやりたかったのに薬学には本当のことへの追究を受け止めるだけの寛容さはない以上このままだと私の中に確かにある本当のことへの憧憬に私が殺されてしまうんだ、だから目前の舗装された道から外れて樵径を往かねばならないんだ、私はなんも考えてないのではなく全てを考えているんだ、といったことをあたかもすべて本当のことであると一種強迫観念的に思い込むことで自分の瑕疵を全て糊塗してしまうことにしたのです。

アー

それから病的な行動力で内定辞退願を教務に提出し、仮構した懊悩にしかし真剣に懊悩しているふりをしながらなんも考えずに次の年の進振りを迎えることになるわけですが、書き疲れたんでその話は次の投稿に任せ、擱きます。

*1:現 人文学科

*2:学部3年→修士1年

*3:降年とは異なるけど学生間ではあんま区別されてない、というか内定辞退のほうが圧倒的に少ないのでそもそも認知されていない気がします。

*4:あとの4割は友人の友人である2個上の先輩が徳島の別の某公立高校から現役で東大に行っててかっこいいンゴ〜となった原体験がそれです

*5:あとの2割は文系は暗記多くてしんどいから文科を外した上で結果的には合格最低点を優に超えてたので行けたのは間違いないけれども医者は血が無理で無理だろうし医者は血が無理で無理な以上不必要なリスクは取りたくなくて理三を外し理一二の2択となったのとで、あとの6割は友人の友人である2個上の先輩が徳島の別の某公立高校から現役で理科一類に行っててかっこいいンゴ〜となった原体験がそれです